勝 海舟と日蓮宗
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」L.W.への献辞 大久保ゆう訳

2006年05月18日

 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ「あのときの王子くん」まえがき 大久保ゆう訳

あのときの王子くん
Le Petit Prince
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
大久保ゆう訳


 aozora blog 版まえがき

 『星の王子さま』という邦題でよく知られる "Le Petit Prince" の作者、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが亡くなってから、六十数年の月日が流れました。彼は飛行機で基地をたったまま消息を絶ちましたが、そのあと出版されたこの本は、今にいたるまで世界中の人々から愛されるたぐいまれな本となりました。

 これまで日本では、岩波書店が独占翻訳権を有しており、訳者である内藤濯の繊細な筆遣いもあって、この本はたいへん親しまれてきました。そのため、もうすぐサン=テグジュペリの日本国内における著作権が失効されるということがわかると、さまざまな出版社がその翻訳に乗り出しました。どういった翻訳者がこの作品に挑むのか、著作権が切れる前から話題となり、結果として2005年にはたくさんの訳書が出版され、人々の手に渡りました。この〈新訳ラッシュ〉とも呼ばれる現象が一段落して、2006年5月現在、以前からある岩波書店の訳も含めて12冊もの翻訳が出ています。これだけ種類が出ると、それぞれ採算が取れているのかどうか心配にもなりますが、翻訳が自由になったおかげで、さまざまな翻訳を、自らの楽しみ方に合わせて選べるようになりました。

 けれどもよく考えてみると、フランス語原典の活用は自由になりましたが、日本語訳というテクストは自由にはなっていません。依然としてそれらは売り物であって、インターネットでの使用は制限されています。許可なく朗読してインターネット上で配信することはできませんし、許可なく本にすることもできません。自由であるが自由ではない、そんな状況です。

 その一方、日本語以外のヴァージョンはどうかといいますと、もちろん何ヶ国語かの訳がフリーな状態でインターネット上に公開されています。筆者の確認した範囲ですと、まず原典であるフランス語があちこちで公開されています。また、原典と同時に発表されたキャサリン・ウッド[訳]の英語版もかなり見つけることができます(著作権はまだ切れていないような気もするのですが、どうなのでしょう)。そのほか、スペイン語・韓国語もあり、またセルビア語のものも見つけることができました。ただし、それぞれのテクストには質に大きなばらつきが見られました。スペルの間違いがあったり、挿絵がそろっていないものなどありますが、中でもいささか問題なのは、グーテンベルク・オーストラリアのものです。ごらんになった方はわかると思いますが、挿絵の状態がたいへんひどく、見るに堪えません。もう少し良心的な仕事をお願いしたいものです。

 同じように良心的な話を考えてみますと、それはこの〈新訳ラッシュ〉で刊行された一連の日本語訳にも当てはまります。それぞれの訳を詳細に調べてみると、さすがに売り物になる翻訳の水準を下回っているようなものもありました。実によく練られた文章の稲垣直樹[訳]や、良質の直訳である山崎庸一郎[訳]などを見ると、翻訳自由になって本当に良かったと思います。けれども、一部の訳書はもっと批判されてしかるべきです。といっても、その翻訳を出した人を批判するわけではありません。翻訳のできるできないというのは、単にスキルの問題です。翻訳の技術があるかないかです。単に技術を磨くための練習や訓練、あるいは翻訳への意識が足りないという意味であって、その人の人格や知識やらとはまったく関係がありません。技術がなくてできないというのは、まったく仕方のないことだと思います。もちろん、かくいう筆者もたいして技術があるわけではありません。いつも翻訳のことを考える、一介の翻訳研究者に過ぎません。このように翻訳の技が未熟なものは、日々クンフーを積むばかりなのでしょう。

 個人的な感覚を言わせてもらえれば、インターネット上で練習をしたり、人に出さないところで訓練するというのは、まったく問題のないことだと思います。たとえどれだけひどくても、「がんばれ!」あるいは「一緒にがんばりましょう!」というようなエールをかけたくなります。しかし、ここにビジネスが絡んでくると、ちょっと話は変わってくるのではないでしょうか。やはり商品として未熟なもの、中途半端なものを売って、それで利益を得るというのは、どうなんでしょう。もうちょっと意識的であってほしい、と思わずにはいられません。

 この翻訳は、筆者のそのような感覚から生まれ出たものです。しばらく翻訳をしようかしまいか悩んでいたのですが、そんなとき、朗読ポッドキャスティングをなさっている声優の佐々木健さんから「自由に使える星の王子さまの翻訳ありませんか」と尋ねられ、「よし、やろう」と覚悟を決めました。

 かの内藤濯[訳]は、その訳者本人が何度か言及されているように、まさに〈朗読〉のために作られた翻訳でした。内藤さんは「まず声の言葉あっての文字の言葉である」という言語観を持っておられて、〈言葉の呼吸〉や〈いのちある言葉〉を重要視しておられました。『星の王子さま』という作品の〈ねうち〉は「声を通して読む」ことにあるとお考えになっていたようです。実際、あの翻訳は口述で作られていて(健康上の理由もあったようです)、原文と訳文を比べながら、できるだけリズムに注意していくども推敲されています。詠む対象とひとつになるというのが、内藤さんが文芸作品に挑む際に用いる〈哲学〉であり、その意味では、あの翻訳は内藤さんの身体からダイナミックに吐き出された翻訳だったように思います。

 筆者がこれからお送りする翻訳も、佐々木さんという読む人がそこにいらっしゃる以上、何よりも読むテクストとして、語るテクストとして織っていこうと思います。その意味では、内藤さんに挑戦することになるのですが、これはとうてい勝てるとも思えない勝負なのでしょう。でも、今ある実力をすべて振り絞って、頑張ろうと思います。

 なお、最後にこの翻訳について、テクストとしてのコメントを付します。タイトルの『あのときの王子くん』は、今までの『星の王子さま』とはあえて別のタイトルを取りました。それはこの『星の王子さま』というタイトルをつけた内藤さんに敬意をもって挑戦する意味でも、別のタイトルを付けなければならないでしょう。それとは別に、翻訳者としての姿勢や考え方もこの選択に関係してくるのですが、それはこの blog での連載が終わった後に、書くことにしましょう。底本はインターネット上にあるテクスト、とりわけ『「星の王子さま」総覧』で公開されているレイナル&ヒッチコック初版から起こされたテクストを使いました。本当は、挿絵もレイナル&ヒッチコック初版から取りたいのですが、残念ながら筆者はその現物を持っていません。挿絵も文章と同じように著作権が切れているのですが、初版の挿絵は公開されていないようです。そのため、インターネット上にある各ヴァージョンの『Le Petit Prince』からできるだけ綺麗なものを選んだつもりですが、不満は依然として残ります。そういった意味では、これを読んでいただく人にとって「ご了承あれ」とは決して言えないのが、翻訳者としての良心の言葉です。

 2006年5月3日    訳者

(2006/8/5 追記。
 使用している挿絵を、レイナル&ヒッチコック社刊行の初版第一刷からのものに差し替えました。この経緯については、「あとがき」にて記すことにします。初版をご提供下さった方のご厚意に感謝し、さらに「あのときの王子くん」完成に向けて、翻訳に邁進する次第です。どうもありがとうございました。)

★この文章を書いた人→大久保ゆう★こんな時間に→2006年05月18日 12:12 ★トラックバック
 コメント

心より素晴らしい活動に感謝申し上げます!
そして、心して朗読して公開させていただきたいと思っています。
なんだか、僕の名前が出て来て恥ずかしい限りですが…無料公開の日本語訳を探していて、ぜひ大久保さんに訳して欲しいなぁと思っていました。それがこのように叶った事。嬉しく思います。
こどものみなさん、お楽しみに!

Posted by: ささきたけし at 2006年05月20日 07:57

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