青空文庫全部入りCD-ROM『蔵書4670』
水牛だより7月1日

2005年07月01日

 酒呑童子しゅてんどうじの系譜

 子どもが犯罪をおかしたり殺人をおかしたりするのはなぜか。
 子ども。児童。青少年。若者。若年者。青年。童子。わらべ。『子どもの脳があぶない』と現代社会へ警告する研究者もいます。そのいっぽうで、子どもは古来、無邪気であるゆえに大人以上に残酷だという意見も聞きます。ハーメルンの笛吹き男は、若者・青年としてよく描かれています。さらわれる子どもたちとさほど年齢が変わらない。サルでも犬でも鳥類でも、動物の本能として“群れる”という現象はめずらしくありません。群れることが安全を保証したり、快適さをもたらしてくれたり、いっぱぐれを防いでくれる。動物にとって孤立することは危険なことであり、死に直結しかねない。

 すりこみ効果imprinting
 生まれた直後、なにはともあれ、身辺の動いているものをしたってついてゆこうとする。善悪・正否は関係ない。とくにかくけなげについていってみる。判断思考が未熟だったり自我が未発達な段階では、それもまた合理的な行動です。親の数に対して子どもの数が多いばあい、しばしば年長の子どもが年下の子どものめんどうをみるという行為もみられます。正確な意味での面倒を見る、世話をする、というわけでは必ずしもない。単に相手をする、放置しない、かまってやるということにすぎないのかもしれませんが。親にとっては子どものめんどうから開放されるので、エサを探しにいったりナワバリに入りこもうとするゴロツキや天敵を警戒することに専念できます。年長の子どもにとっても、子育てを疑似体験することはのちのち役に立つ。

 同年齢の子どもたちをあつめて、少し年長の者がその世話をする。
 学校教育schoolingはその例のひとつ。珍走団もそのひとつ。宗教集団もそのひとつ。軍隊も、企業経営も、すべてそれを応用しているといえます。したがって「子ども」たちにとっては、そこに所属することが大きな意味をなします。逆に所属を拒否されることは自分の存在を拒否されたことを意味する。所属するかいなかがきわめて重大事なわけです。所属する集団が、反社会的か・非社会的か・脱社会的かは二の次になります。集団に所属するものにとっては、村八分やシカトがもっとも怖い。集団から浮いたりおいてけぼりをくらったりはぐれたりすることを極度にきらうことになります。みんなとちがうことを極度におそれる。

 ところが集団のほうは、個人のそういった思惑おもわくとは異なります。
 集団が集団として団結心をたしかめあう方法は大別すると2つになります。ひとつは対外的に集団の力を表現・誇示するという方法。そしてもうひとつは、集団の内部にあえて「はぐれもの」を用意して非難バッシングする方法です。イジメや仲間われ、内ゲバがそれにあたります。道化やピエロ、ダラや阿保アボを用意するばあいもあります。集団を組織して運営するかぎり、つねに帰属ということが確かめられあう。つながりの規模や強度に先だつ現象。

 集団と個人。集団と集団。
 集団のなかから個人がはじきだされるばあい、しばしばうらみや怒りが表出します。もしくは集団や個人の深層に蓄積します。個人に問題があるかどうかはさほど問題ではありません。個人であるかぎり、ほかの人となにかかにか異なっていて当然だからです。どこにでも差異のタネはころがっているからです。極言すれば、だれでもはじきだされうるともいえます。(自分が)「集団からはじきだされるかもしれない」と予期した瞬間、もしくは「はじきだされた」と感じた瞬間、新しい関係が生まれます。集団と個人のネガティブな関係性です。集団からみればとりたてていうまでもないことであり、うとましいことであり、めざわりなことであり、ふれたくないことであり、深く考えたくない事柄です。

 はじきだす側が暴力的なばあい。
 はじきだされる側が暴力的なばあい。

 つい100年前までは、身のまわりにあるもの=凶器になりえるものもそれなりに限られていました。クワやカマ、ナタや出刃、フォークやナイフくらいでしょうか。しいていえるとすれば、便利な道具をつくって便利な社会をつくればつくるほど、人間は身のまわりを危険なものだらけにしてしまった。自動車を利用した犯罪、携帯電話を利用した犯罪、ネットを利用した犯罪……。この流れを変えるのは、かなりむずかしい。テロリスト・ゲリラなどというと自分たちとまったく無関係と思いがちだけれども、さくらんぼどろぼうにせよオレオレIT詐欺にせよ、けっこう身近なところに寝食していらっしゃる。

 一説によれば、酒呑童子しゅてんどうじは鬼になるまえ羽黒山で修行していたともいいます。正確には修行ではなくて下働き。風呂きをしたり兄弟子たちの頭髪を毎朝ったりしていた。ある時、まちがって兄弟子の頭をカミソリで傷つけてしまい血がたれた。たれた血をそっとなめてみた。するとその血の味がやみつきになって忘れられなくなり、そのうちわざと傷つけては血をなめていて羽黒山を追い出されたのだという。

 童子。わらべ。鬼。あやし。
 昔話のなかには、若い娘が化け物にさらわれるという話がしばしば見かけられます。また、目玉をくりぬくとかはらわたをえぐり取るとか頭からガリガリ食べるとか生き血を吸うとか脳みそは美味だとか年寄りの肉は固くてクサイけれど若いこどもの肉はうまいとか、そういうエグい表現がよく出てきます。毒をもるという話もよくあります。年取ってモウロクした親を山に捨てるという話もよくあります。神隠しにあって帰ってこなかったという話もある。

 話が語り伝えられているということは、話の発端となるなんらかの事件がかつてあったことが想像できます。一言一句同じということではなくて、話をイマジネーションできるくらいの事件、という意味です。それからその事件が当時もそれなりにインパクトのある出来事だったというふうに考えていいと思います。めずらしくなければ物語る必要もべつにないからです。そして、時代が変わっても語り伝えられてきたということは、めずらしい事件ではあるけれども風化できないメッセージがそこにあるとも受けとれます。作者や語り部は過去に題材をとりながらも、現代を、もしくは自分自身を語っていると深読みしてみるのもいい。

 さて、子どもが犯罪をおかしたり殺人をおかしたりするのはなぜか。
 おとなが犯罪をおかしたり殺人をおかしたりするのだから、子どもがおかしたってふしぎじゃないともいえます。子どもとおとなに明確な境界などないからです。おとなにとって犯罪をおかしやすい社会だから子どもでもできる。子どもがんでいるとするならば、それは子どもだけがんでいるのではなく……。ひずみはとかく、周辺部分に大きくあらわれます。子ども。もしくは高齢者。もしくは……。



2005.6.29 香川 夜間断水
2005.7.1
しだひろし/PoorBook G3'99
転載・引用・リンクは自由です。

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 コメント

酒呑童子は、山形出身だったのですか?大江山に転勤になったとか?

源頼光と渡辺の綱、坂田の金時などなどの猛者の引き立て役ですよねえ・・気の毒に。

ひょっとしたらただの可愛い酔っ払いのおじさんだったかもしれない・・のわけないか??

病気をする前までは・・酒呑天使だったのですがねえ・・あたしゃーー

Posted by: ten at 2005年07月03日 11:51

拝啓 酒ten童子さま
ドクターストップでしたか。

感じ方のちがいかもしれませんが個人的には頼光や四天王よりも酒呑童子のほうが話の主役って気がしてました。頼光たちのほうが引き立て役のように思ってました。

(本のタイトルが思い出せないのですが)酒呑童子はもともと越後出身で、そのころからすでにおこないが悪かったので羽黒山にあずけられたとか読んだ記憶があります。その後転々としたのち大江山に移った。

Posted by: しだ at 2005年07月05日 23:58

♪たなぼたサラサラ〜

酒呑童子はかわいい女の子を高い塔の中に閉じこめておこうとしたヒヒジジイか、もしくはそこから開放したルパンだったのか。どっちにしても酒好きのエロじじいですなー。「わたしをさらって」なんてコクられたらどうしよう。道頓堀にでも馬見ヶ崎川にでも飛び込みましょう。悪酔い悪のりできるほど飲んでみたい。

世話役みなさんの特集おもしろい企画でしたね。みなさん近頃めっきり書き下ろししてくれないので欲求不満たまりまくりです。オフ会、報告たのしみにしてます。東京へ行くとそのまま拉致されて帰ってこれなくなりそうなのでいきません(^^)。

Posted by: しだ at 2005年07月06日 08:37

悪酔いは、先になったほうが勝ち!・・・介抱係りから解放されたものより

Posted by: ten at 2005年07月07日 14:46

それにしても、テロりテロられ……
テロに強い社会なんて、そんなもんに税金つかってほしくないぜ。

Posted by: しだ at 2005年07月07日 20:32

『羽前の伝説』戸川安章(編)第一法規出版1975.9. p.148「大江山の鬼」より

――酒顛(しゅてん)童子は越後三面の炭焼きの子。家が貧しいので湯殿山の大日坊へ小僧にやられた。手先が器用なので、坊さんや小坊主たちの頭剃りをさせられるようになった。
 あるとき、手元が狂って小坊主の頭に傷をつけてしまった。傷口から血が噴き出してきたので口をつけてそれをなめると、村にいたとき熊狩りをして、その生血を飲んだときの味が思い出され、自分を押さえることができなくなった。そのため、わざと傷をつけては血をなめるようになった。
 そのうち頭に二つのこぶができて一寸くらいに伸びた。鬼になったからには、もうここにはいられないと越後弥彦山や高野山へ行ったが追い出される。丹波大江山に行くと多くの鬼がいたので、それを手下にして麓の村々から若い娘たちをさらって来るようになった――

「羽黒山で修行した」と書きましたが間違いでした。訂正します。大日坊とは出羽三山八方七口のひとつ。朝日村大網。森 敦が滞在した七五三掛(しめかけ)注連寺の近く。真如海上人のミイラがある。春日局が祈願したことで有名。最後まで神仏分離をこばみつづけた。真言宗派。

Posted by: しだ at 2005年07月10日 10:09

お久しぶりです
青少年による殺人事件で、犯罪を犯してしまった彼、彼女たちは、性格はおとなしいとか、まじめだとか、メディアを通して言われますが、それって、逆に犯罪が増えてしまうのではないかと、たまに思います。
心の何処かで、模倣してしまうというか・・・
テロは対策するんじゃ、風邪ひいてからうがいしてるようなもんです。テロが起きてしまう根源から考えなおさないと・・・って思います。どうなんでしょうね・・・

Posted by: 深緑 at 2005年07月11日 22:33

メモ・酒と生血と修験

 森敦『月山』には密造酒の話が出てきます。どぶろく(にごり酒)ではなくて清酒を伝統的に作っていたらしい。ちなみに清河八郎の生家も酒造屋だった。ただ朝日村は山間地なので米作には難があったはず。クズ米を逆手にとったということか。なおこのあたりでは山ブドウを利用した酒造も伝わっている。フランスでは飲料水の水質よりもワインの水質の方がよいといわれるほどだが、朝日村は月山の水源地に近いので水には困らなかったはず。むしろ庄内の平野部のほうが水問題は切実。
 
 生血を飲むということで連想するのは、ひとつはイヌイットの例。生血や生肉からビタミンや塩分を補給できる。狩猟文化にしばしばみられる。もうひとつは西洋のドラキュラ。美女をさらう点でも酒呑童子に類似する。ただしドラキュラは修験臭はなく貴族出身。徒党も組んでいない。
 
 越後―高野山―大江山……酒呑童子の近辺はなにかと修験くさい。当時から修験はうさんくさいと思われていたということか、それとも。頼光や四天王は山伏のすがたで大江山へ乗りこむ。酒呑童子も彼らを迎え入れる。高野山で弘法大師に追い払われたという逸話があるが、裏をかえせば大師をしたって高野山へ出向いたというふうに考えられなくもない。
 
 そういえばドラキュラはクロスをきらった。きらうということは逆に宗教との大きな接点といえる。鬼や妖怪のたぐいは、たいてい洞窟や深い山林に住むイメージがあるが、酒呑童子もドラキュラも豪華な屋敷・城を住まいとしている。貧民的ではなく貴族的。

Posted by: しだ at 2005年07月12日 20:00

おひさしぶりです。
> 性格はおとなしいとか、まじめだとか、メディアを通して言われますが、
> それって、逆に犯罪が増えてしまうのではないかと、たまに思います。

どうかな。そんなふうに考えたことないです。
おとなしい・まじめ=神経質・柔軟性がない・過敏=キレやすいなどの傾向や原因づけは、ある意味正しいけれどもある意味正しくない。おとなしい・まじめな人の犯罪と、おとなしくない・不まじめな人の犯罪の性質の差ってなくもないような気もしますが。性格にかかわらず誰だって、家族や友人や同僚にいらだったり憎んだりうとましがったり殺意を持ったりすると思うんです。かといって、すべてのひとが友人や家族や同僚を殺すかというとそんなことはない。損得勘定でいえば、一時の感情で殺人を犯したとしても、それはあまりにリスクのありすぎる行為だということが、たいていの人には計算するまでもなくあたりまえのことがらだからです。メディアがどう報じようが他人がどう言おうが、それが凶悪犯罪の引き金になるとは考えにくい。

ところが、計画的に犯罪を企てているばあいには、メディアの提供する情報が犯罪にヒントをあたえてしまうことなどは充分考えられます。情報が模倣を誘発するということはおそらく正しい。突発的・感情的なばあいにもメディアに大きく左右されるばあいがある。サスペンス劇場を見て犯行を決意したなどという例もある。

逆にメディアが犯罪を抑止するということも考えられないでしょうか。ルパン三世やキャッツアイを毎週TVで見るたびに、物をぬすむってなんだろうか、人を殺すってなんだろうか、考えるきっかけになったというひとはぼくばかりじゃないと思うのですが。……というぼくだって人並みに親の財布からくすねたり、人けのない店先からチョコレートを、ということはありましたが。本やマンガをギッたことはなかったなあ(へんなところで倫理的)。メディア(口頭伝承しかりwebしかり)の影響力は絶大です。

> 風邪ひいてからうがいしてるようなもんです。
> テロが起きてしまう根源から考えなおさないと

同感ですね。抑止してるんだかあおってるんだかという例は、しばしばあちこちで見られます(^^)。

Posted by: しだ at 2005年07月12日 20:01

 まじめな話の中で申し訳ないですが書き込ませていただきます。

 酒顛童子(酒呑童子とも書く)は、山形出身という説がありますが、新潟にも酒顛童子のふるさとという地があります。西蒲原郡分水町の砂子塚と私の住んでいる新潟市和納で産まれたとする二つの説がありますが、いずれも出生後のストーリーは共通しており、それなりの背景があったと考えられます。

 村上天皇の皇子で越後へ流された桃井親王の従者、稲背善次兵衛俊綱の子孫で砂子塚城主だった俊兼が戸隠山の九頭竜権現に祈願して授かった子で、幼名を「外道丸」。母親が妊娠中に食べてはいけない魚「トチ(男の子が産まれると大盗賊、女の子なら大淫婦になると言われ一生をまともにすごせない)」を食べてしまったため、十六ヶ月も胎内に留まり母親の腹を蹴破って出てきたと言う伝説を持ちます。産まれて直ぐに歩くことができ、人の言葉も解したといわれています。
 十一歳になったとき、和納の楞厳寺に入れられて修行をしたのですが、乱暴狼藉、酒は飲む、女はかどわかすという大業を働いたため、寺から追い出され、(良寛で有名な)分水の国上寺へ童子として入りました。国上寺に入ってからは、まじめに修行したとの事ですが、絶世の美男子であったためお寺から降りると村娘からの恋文が雨霰のように投げ込まれたそうです。外道丸はそれらに一切手をつけづ、修行に励んだそうですが、その間にも外道丸に恋狂った娘達が狂い死にをする有様でした。
 或る日、たんすの中にためてあった恋文を始末しようとたんすを開けた途端、中から黒い煙が湧き出し、気を失ってしまいました。目覚めた外道丸が井戸を覗くとそこには恐ろしい鬼の形相が(寺の境内に酒呑童子の鏡井戸というのがあります。また、外道丸が昼寝をしている時に美貌を羨んだ兄弟子達が顔に鬼の悪戯書きをし、それで鬼になったという説もあり)映っていました。この顔では寺にいられないと思った外道丸は、寺を飛び出し近くの洞穴に住んでいましたが、やがてそこも飛び出し、軽井沢(古志郡という説もあり)の茨木童子らと意気投合し、村々を襲いながら大江山へと流れていったという話もあります。

「西蒲原郡怪奇研究所」という私のサイト(笑)の中の「西蒲原の伝説」というページに紹介してありますのでお暇な方は御一読ください。
http://www.geocities.jp/...

Posted by: 猫乃電子出版@田辺 at 2005年07月13日 12:42

済みません、リンクがきちんと張れていなかったようで。
コメント欄のURLの方にアドレスを入れました。

Posted by: 猫乃電子出版@田辺 at 2005年07月13日 12:48

トチってどんな魚なんですか?
西蒲原っていうと海寄りですよね。近くに製塩の遺跡とか伝説とかありますか?
酒にまつわる話なんかもどうだろう?
神社や寺の近くには川なんかもよくありますが、なんかからんでないでしょうか。

(書くつもりで忘れてましたが)酒呑童子が湯殿山で修行したという話ですが、
地元にもかかわらずまったく聞いたことがありません。

怪奇研究所!

Posted by: しだ at 2005年07月14日 20:45

>西蒲原っていうと海寄りですよね。近くに製塩の遺跡とか伝説とかありますか?

 岩室と分水のちょうど中間にある、弥彦村に「越後一の宮」として有名な弥彦神社があるのですが、そこに祀られている神様、弥彦大神こと天香語山命(あめのかぐやまのみこと)が出雲から船でたどり着き、海岸で数百年暮らして地元の民に魚捕りや製塩を教えたという伝説があります。
 その後、神様は弥彦山を住処ときめ、逆に平地側へ行って米つくりや酒つくりを教えたということです。

>トチってどんな魚なんですか?

 トチという魚は、漢字で「杜父魚(かむか)」と書くそうなので、調べてみるとカジカのようです。典型的な川魚ですね。子供の頃家の前にあった川で釣りましたが…結構、身近な魚だけにそんな言い伝えがあったなんて結構びっくりです。

 新潟日報事業社から「越後の鬼(磯部定冶 著)」という越後の鬼(酒呑童子、弥三郎婆など)に関する本が出版されているんですが、これに酒呑童子に関する色々な話(山形の話はなかったかと…)が出ています。茨木童子についても超人的な力を持つが故に疎まれて人々から追われた感じですね。

http://www.nnj-net.co.jp/... (本書の画像、きちんと張れればいいですが)

>怪奇研究所!

 え〜と、他意はありません(笑)。地元が結構心霊スポットになっているんで、それの解消用にと作ったサイトです。

Posted by: 猫乃電子出版@田辺 at 2005年07月15日 15:32

 三面って朝日連峰の裏側あたりのことですよね。おそらく山間部。いっぽう西蒲原は沿岸部。おなじ新潟だけど100キロぐらいですか離れてる。山間部出身とすれば猟師などどちらかといえば貧民。ところが父親が砂子塚城主とすれば酒顛童子は身分の高い王子様ということになる。
 
 カジカですか……。酒の肴ですな。骨っぽいけど。ツノのはえた魚に見えなくもない。昔、人面魚なんてのもありましたが。(牛や豚など)獣肉を食うと四つ足になると明治のころまで言われたようですが。魚食の禁忌ってめずらしい気がする。○○川(もしくは沼)で魚をとるとタタリがある、とかならばよくあるけれど。近くで砂鉄や砂金のとれる河川ってありますか?
 
 酒顛。酒好きで飲むとより強くなるっていうほうが、ストーリーとして盛り上がるとおもうのだけれど、強くなるどころか酒を飲んで退治されてしまうというのは。しかもそれを暗示した名前っていうのもわかりやすいけれど、なんかひっかかる。
 寺、酒、般若湯。高貴、美男。井戸。鏡井戸。国上寺、くがみ。分水の国上寺って標高はどのくらいですか? (酒顛童子以外の)井戸や水にまつわる伝説などもないでしょうか。
 
 鬼。朝鮮の怨・隠・オンの概念が転じたものというのが民俗学的な通説になってるけれども。朝鮮や中国の鬼ってあまり見たことがない。むしろ西洋のデーモンをそのまま再現した姿に見える。ナマハゲは鬼そのもののように見えるけれど、アイヌや琉球に鬼のようなツノのはえた妖怪の話って聞かない。ツノ……強さのイメージがあるけれど、実際にはえている動物は牛・鹿・カモシカ・水牛といったところ。どちらかというと神聖視されてきた。身近な生物。強い頭痛におそわれたときは、ツノがはえるんじゃないかと思ったときがありましたが。

Posted by: しだ at 2005年07月17日 09:16

そういえば田辺さん、初登場でしたよね。
すっかりお世話になってますが、知らないひとには突然あらわれたあやしい……いやいや。

ゆうくんとtenさんのレポートに田辺さんの正体が(^^)。

東京国際ブックフェア2004、ボイジャーの記録パート2
ttp://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001237.html

東京国際ブックフェア2004レポート3「手段としての電子本」
ttp://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001108.html

Posted by: しだ at 2005年07月17日 13:20

田辺さんは・・
一家に一人、サイドボードの上に
飾っておきたいような方ですが・・・

Posted by: ten at 2005年07月17日 14:33

しださん

>けれど。近くで砂鉄や砂金のとれる河川ってありますか?

 砂鉄や金山はありませんが、銅山ならありますよ。
ただ開発されたのが江戸の頃だったかと(伝説の中には、むかで石=銀の鉱石を幕府の役人に黙って掘り出す話もあります)。

> 寺、酒、般若湯。高貴、美男。井戸。鏡井戸。国上寺、くがみ。分水の国上寺って標高はどのくらいですか? (酒顛童子以外の)井戸や水にまつわる

 国上山(くがみやま)は、300メートルほどの小さな山ですが、そこにある国上寺(こくじょうじ)は和銅2年(707年)の開基と言われ、「今昔物語」にも雷神伝説を残す古いお寺です。

> 三面って朝日連峰の裏側あたりのことですよね。おそらく山間部。いっぽう西蒲原は沿岸部。おなじ新潟だけど100キロぐらいですか離れてる。山間

 三面ってダムで沈んでしまいますが、もともとは縄文時代の遺跡があるほど歴史の古いところです。同じく国上―弥彦―角田山の海側にある山も幾つかの遺跡が確認されています。当時は平野部のほとんどが海や沼でしたので。
 井戸や水にまつわる伝説は、あまりないようです(現在、いろいろと調べ中ですが)。

>ゆうくんとtenさんのレポートに田辺さんの正体が(^^)。

 ぐはぁ(即死)。

>一家に一人、サイドボードの上に
>飾っておきたいような方ですが・・・

tenさん…えーと(苦笑)。

Posted by: 猫乃電子出版@田辺 at 2005年07月18日 20:40

> 銅山ならありますよ。
> ただ開発されたのが江戸の頃だったかと

 銅の精製方法って知らないのですが、製鉄と同様、きっと火力を必要とするのではないかと。燃料となる薪や木炭を大量に要するのではないかと思うのですが。製塩のばあいも鉄釜や銅釜と燃料がいる。製塩や製鉄がさかんなところでは、かつて森林の伐採がはげしかった。海辺に近い平野部はとりわけその影響をうける。

 源頼光の時代は、天台宗や真言宗が驚異的スピードで各地に広まったころと重なる。道真が左遷されたあとで、東北で前九年・後三年の役がおこる前のこと。全国各地の開発と管理を目的とし、もういっぽうで過度の開発をセーブするために聖域・サンクチュアリを設定する。聖域。手をつけてはいけない土地。開発してはいけない土地。聖域は修行の地でもあるけれど、殺生をゆるさないから獣にとっても聖域になる。聖域をとりかこむように狩猟区域が定められる。聖地があるから獣も繁栄できる。獣が繁栄しているから奥深い山地にも人が定住できる。聖地をはさんだ相互依存の関係。冶金と修験と狩猟がしばしばクロスオーバーするのはそういう理由がひとつにあるのではないだろうかと。

 国上と書いてくがみと読むのも、なんか……ですよね。国上山の周辺は水田ですか? 弥彦山は海運にとってシンボリックな山だったみたいだけど、国上山は水源とかに関係するのかなとちょっと想像したのですが。地域の水守みたいな。

> 当時は平野部のほとんどが海や沼でしたので。
 そうだったんだ……。象潟は芭蕉の訪れたころまで仙台松島のような風景だったらしいし、江戸だって海岸線はかなり内側にあったようだから。時代はわかりませんがさかのぼれば新潟もそんなかんじだったわけですな。

> 一家に一人、サイドボードの上に
> 飾っておきたいような方ですが・・・
酒ten童子の手にかかると、みんな、まな板の上の錦鯉に。

Posted by: しだ at 2005年07月19日 14:32

亀です。

> 銅の精製方法って知らないのですが、製鉄と同様、きっと火力を必要とするのではないかと。燃料となる薪や木炭を大量に要するのではないかと思う

 一応精錬所まであったらしいですが(以前、郷土資料を読んだのですが忘れてしまいました)、薪や木炭まではどうでしょうか? 裏は神様の山(弥彦山)ですし、伐採できたかどうか。今は跡が山に埋もれてわからなくなっています。

> 国上と書いてくがみと読むのも、なんか……ですよね。国上山の周辺は水田ですか? 弥彦山は海運にとってシンボリックな山だったみたいだけど、
 新潟平野、米どころです。近くには幕府直轄地だった出雲崎(出雲の崎…象徴的な名前ですね)という北廻船の航路だった港もありますし。

>国上山は水源とかに関係するのかなとちょっと想像したのですが。地域の水守みたいな。

 水源地ではないのですが、近くを流れる信濃川が暴れ川でしたので、この国上山の脇に大河津分水が作られました。これで信濃川の水を海に流し、これ以降大きな水害はありません。もっとも今でも排水路の工事に多額のお金が費やされています。
 新潟は昭和30年代くらいまで泥田が中心で、船で水路を行き来していた状態でした。春には胸まで水に使って田植えを行う有様(その一方で水不足に悩み、自分の首を掛けて水路工事した偉業も幾つも伝わっていますが)。潟も多かったですし。それを乾田化、耕地整理を行って今の米どころができたわけで(あと、新潟米が今のように持て囃されるなったのはコシヒカリ以降です。それ以前は質より量の政策がありましたので、新潟米は三流品だったそうです。酒も端麗辛口が流行るまで駄目酒と思われてましたし)。

 話がとっちらかってきたので、これにて。
とっぺんぱらりんのぷう。

Posted by: 猫乃電子出版@田辺 at 2005年07月23日 11:03

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