ライマン・フランク・ボーム「サンタクロースがさらわれちゃった!」(大久保ゆう訳)
クリスマスin FF11

2004年12月24日

 サンタクロースが夜中こっそりとやってくる理由

 私は、いつもこの時期がやってくると、サンタクロースのことを想う。


 日本におけるクリスマスの定義というものは、だいだい次のように考えられているといっていいだろう。

 ――サンタクロースという人物(妖精)が、一二月二五日の前夜に、子どもたちにプレゼントをくれるという形をとった、親から子への愛情表現の行事。子どもがプレゼントを見つけ、一日幸せにひたる日のことをクリスマスという。普段、愛情をあまり表に出さない日本人の親にとって、形式をもって気持ちを表現できるという意味では、恰好のものであり、また、男女間の間でも、プレゼントを交換するなどして、愛情表現の行事として執り行われる。――

 この行事は、古くはゲルマン・北欧・ローマの冬至祭に由来していて、その祭は恐ろしい冬の季節の終わりを祈り、豊かな春が来るようにと願ったものだった。その祭の中に贈り物をする風習があったり、贈り物をくれる神がいたりしたのがそもそもの始まりで、贈り物をあげるということによって、何かを表現するという考えが、その地方の人々に強くあった。

 しかし冬至祭が布教目的で《クリスマス》というキリスト教の宗教行事に取り込まれたため、贈り物という考え方を実践することができなくなったが、人々の心に強く残っていた思想は、別の形で現れることとなった。

 冬至祭に近い、その宗教で決められていた聖ニコラウスの日に祭を行い、人々はその考え方を取り込んだのだった。聖ニコラウスのお供にプレゼントをあげるものがいたり、また聖ニコラウスと敵対する悪魔(元冬至祭で祝われていた神々)の中に、プレゼントをおくる女神を置くなどして、その形式を借りて、子どもたちにプレゼントをおくっていた。そして次第にプレゼントを贈る役目は聖ニコラウス自身に移っていった。

 そのとき、折しも宗教改革が起こり、プロテスタント教会はこの習慣をやめさせようとした。ニコラウスが彼らの反対するカトリックの聖人であり、またその祭では風紀が著しく乱れると判断したためだった。だが長い間、人々の心の中に生き残っていた思想を簡単に消せるはずがなかった。行う人々にとっては、宗教性が大事なのではなく、子どもにプレゼントを贈り、子どもはそれをもらう、ということが大事だったからだ。そこで教会は再びクリスマスにその習慣を取り入れ、贈り役を聖ニコラウスから道化へ、聖ニコラウスではなく、《クリス・クリングル》や《マダム・ノエル》と呼ぶように変えさせた。

 しかし、一部の子どもたちは道化などではなく、聖ニコラウスのおじさんがやってくることを望んでいた。行事を変えたからといって、子どもたちの気持ちがすぐに変わるはずもなかった。そして聖ニコラウスはその名前を残して静かに生き続けた。聖ニコラウスの日に、空からお供とともに馬に乗ってやってきて、そっと子どもたちにプレゼントを置いていく、妖精のような人物になった。形も禁止された祭ではなく、家族で秘密裏に行われるようになった。

 そうして、静かに続いていた風習は、アメリカに渡ったドイツ系・オランダ系の移民たちによって、おおっぴらなものとして復活した。当時、ニューヨークの象徴として、サンタクロースが選ばれたのだった。サンタクロースは妖精として、道化たちに取って代わり、本来の冬至の祭であったクリスマスに復帰し、クリスマスはアメリカとイギリスの間で家族とプレゼントの行事として確立されていった。

 とすると、本来のクリスマスはこういうものではない、という方もおられるかもしれないが、その本来として語られるのは、あくまでもこの行事が名前をもらった宗教的行事であるミサとしてのクリスマスであって、この別起源に基づくプレゼント交換行事のクリスマスとは別の話であることをご理解いただきたい。(つまるところ、日と名前が同じだからといって、まったく同じものであるとは限らない。サンタクロース派の人に「この行事の名前は本来《クリスマス》という名前ではない」と言われても、文句は言えない。)

 そして行事として確立されていく過程で、サンタクロースという妖精には様々な飾りが施されていくことになった。もともと像としては恰幅の良い、ヒゲのおじさんというものだった。そこに妖精らしいふわふわとした服や帽子が加わり、寒い北国の出身、トナカイとソリ、靴下に贈り物、煙突、赤い服に赤い帽子、赤鼻のトナカイ……など、それぞれ出所は詩や企業のポスターなど様々だが、次々と想像がふくらんでいった。ドイツの古い宗教からクリスマス・ツリーを取り込んだこともあった。

 このようにして大きくなった想像が、毎年、街にあふれることとなる。サンタクロースの到来を祝うかのように、商店街から湖畔にいたるまで、様々な装飾がなされ、前後二週間はただ一つの色しかないような気分に染められていく。


 これは2年くらい前、クリスマスを愛する人たちと、クリスマスの恋人たちを応援するために書いた「思索品」という小品の冒頭部。細かいことを抜きにして、簡単にまとめてみたもので、再度まとめるのもなんなので、引用する。

 私がサンタクロースのことを想うというのは、別にサンタクロースの姿を想像するというわけではなく、サンタクロースにかかわってきた幾多の人を思い浮かべてみるからだ。

 サンタクロースが夜中、誰にも知られずこっそりやってくる。今ではみんなそれが普通のことだと想っているし、それを疑問に思う人はあまりいない。しかし前述したように、この現象と、サンタクロースが異端視されたことは、大きく関係がある。

 私たち日本人には難しいかもしれないが、「異端」ということは、西洋ではとても厳しいことである。ヨーロッパの歴史を学んだことのある人なら、それは納得していただけるだろう。最悪の場合、殺されることもよくあったのだ。(Wikipedia の「キリスト教の歴史」の「西方教会における異端審問と魔女狩りへの移行」を参照のこと。)

 サンタクロースはやってはいけないこと、異端なことだった。もしおおっぴらに、サンタクロースを登場させて、真っ昼間、公のところでプレゼントをあげたりすれば、どうなっただろうか?

 とてもできない。でも、きっと子どもたちはねだったことだろう。聞いたことだろう。

「サンタクロースはどうしてプレゼントをくれないの?」

 でも、もしプレゼントをあげて、ばれたら、どうなるかはわかっている。実際にそれをやった人もいただろうし、ひどい最期をとげた人もいただろう。

 なんとか、ばれないようにプレゼントを。

 真夜中、寝静まったときに、そっとプレゼントが置かれる。それは誰が置いたのかはわからない。きっと、サンタクロースの妖精さんが置いてくれたもの。不思議な力で、届けられたもの。

 プレゼントを置くという勇気は、いかほどのものだっただろうか?

 プレゼントを置くという恐怖は、いかほどのものだっただろうか?

 私は感謝する。この風習が続いていることに。そして、これまでにいたであろう、たくさんのサンタクロースたちに。

 サンタクロースなんていない、と言うのは簡単だ。サンタクロースをばかにするのも簡単だ。けれど、サンタクロースは今まで続いている。その歴史は、私たちが想像しきれないほどけわしい。そして、その道のりの中には、なんとか歩こうとした、考えきれないほどたくさんのサンタクロースがいて、今もたくさんのサンタクロースがいる。多くの人が「いない」「非現実的だ」と言っているにもかかわらず。だから私は、「サンタクロースっていると思う?」と聞かれたら、こう答えることにしている。

「サンタクロースはいた。だから、今もいるし、これからもいる。」

★この文章を書いた人→大久保ゆう★こんな時間に→2004年12月24日 01:04 ★トラックバック
 コメント

>これは2年くらい前、クリスマスを愛する人たちと、クリスマスの恋人たちを応援するために書いた

「あ〜た〜ねえ、クリスマスの恋人達を応戦するためって・・・うううむむ・・20年早い!!」
本当は上記のように突っ込みをいれようかと思ったが・・以下に変更。
「で、大久保君は今宵はどなたとお過ごしでしょうか?」


Posted by: ten at 2004年12月24日 21:18

私は↓(名前欄)こんな人といっしょに過すことになりそうです。……一応クリスマス行事にちなんだ真面目なサイトですが、気の弱い方は御遠慮ください。

Posted by: なまはげ at 2004年12月24日 23:01

大久保さんの名前を語るつもりはないし、語ってもいませんが、流れからすると誤解する人もいそうなので。
私は大久保さんじゃありません。

Posted by: なまはげ at 2004年12月25日 11:07

>「で、大久保君は今宵はどなたとお過ごしでしょうか?」

tenさん、それはセクハラというものですよ……
(今のご時世においては)

Posted by: 大久保ゆう at 2004年12月26日 11:57

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