「三山參拜初途」斎藤茂吉
記憶ということ ・ しなやかな指

2004年06月14日

 郡山総一郎×岡真理「イラクで何が起こっているか」聴講記録

Fides, ut anima, unde abiit, eo numquam rediit.
「信頼は、魂と同様に、立ち去った場所に二度と戻らない。」

 6月11日(金) 18:00開場 18:30開演
 大学生当日900円、一般当日1200円
 場所 京都大学人間環境学研究科B23教室
 主催 とっても便利出版部

 講演者:郡山総一郎/こおりやま・そういちろう
(フリージャーナリスト。先頃イラクにて今井紀明、高遠菜穂子の両名とともに拘束され、日本では「人質」として有名になる。)

 聞き手;岡真理/おか・まり
(現代アラブ文学専攻。京都大学人間環境学研究科助教授。もと在モロッコ日本国大使館専門調査員。)

 ※注 この記録は、私(大久保ゆう)が講演会中に筆記したメモをもとに、再構成したものです。発言内容の細部において、正確を期するものではありません(むしろ正確でない部分の方が多いと思います)。すでに一次的な解釈が入っているということを念頭に置いた上で、お読み下さい。もちろん、文責は私にあります。


 その日、京都は雨が降っていた。折しも台風が近づき、講演の一時間前にもなると、強風で雨粒があちらこちらに舞い散っていた。それでも、会場には250人もの人々が集まった。そのほとんどは学生である。当初、主催者側はおよそ150ほどの席を用意していたようだが、それでは足りなくなり、新たにパイプ椅子を増設しなければならないほどの盛況ぶりだった。決して無料ではないこの講演に、これだけの人が集まったということは、誰しもこのイラク問題について関心があるということなのかもしれない。(もちろん、「人質」をその眼で見てみたいという野次馬根性から、ということもあるだろう。)

 人々は、郡山総一郎という人物に対して、どういう印象を抱いているだろうか。一般的に考えて、人々が持っているデータは、TVから流れる映像資料と、あるいは報道される文字データ、そしてそれに対する他者の発言、といったものではなかろうか。郡山総一郎、という名前を聞いて、人々の頭に想起する顔は、アルジャジーラに送られたビデオの中に出てくる不安な顔(1)だろうか、もしくは事件のさなか日本で流された雄弁だが音声の切り取られた資料映像に出てくる顔(2)だろうか、それとも解放時の神経の張りつめてしまったような顔(3)だろうか、あるいは帰国記者会見の際に見せた険しい顔(4)だろうか。(写真は、1はアルジャジーラ、2,3は共同通信社、4は四国新聞社。いずれも引用。)

 しかし、聴衆の前に現れた顔はそのいずれでもなかった。大きな荷物を背負って、ひょうひょうと壇上に上がったのは、気さくで明るく、どこにでもいそうな人物だった。無造作なシャツ姿の彼が、まず最初に「イラクでつかまった5人のうちの郡山です。」と自らをちゃかすような様子で自己紹介をした。

 現在、国内では様々な意見が飛び交っている。その中の一つに「自己責任問題」があるが、講演の冒頭でそのことについて触れ、自分がイラクに行った目的は「自衛隊が派兵されてからあと、イラクの人々にどういう変化が起こったのかを確かめたかった」とした上で、彼はこう言った。

 郡山「今、日本では僕に対する自己責任問題だとか、どうして謝罪しないのかというような意見がありますが、僕は今、こうして皆さんに話すことによって、自己責任を果たしているのだと思います。」(以下、引用部分敬称略)

 そして、自身については、講演中このように語っている。

 郡山「僕はフリーのフォトジャーナリスト、と報道されていますが、本当はパートタイマーフォトジャーナリストです。いつもは肉体労働しています。そうやって旅費をためて、自分のお金で現地へ行きます。ここにいるマスコミの方はわかると思いますが、フリーのジャーナリストの報酬は本当に安くて、ほとんど赤字なんです。一回の取材に3,40万かかるんですが、その半分でも帰ってくればいいかな、という感じです。だから、仕事と言うよりは趣味で行ってます。(中略)もちろん、(イラクの)現状を伝えたいというのもありますが、それよりも『自分で見たい、いったい何が本当に起こっているのか、それが知りたい』という好奇心で、イラクに行きました。その好奇心だけが支えで……本当にみなさんには申し訳ないですが……。」

 飾らず、カッコつけず、ありのままの郡山さんがこの講演で話したことは、次にまとめるとおりである。


 1.サラヤ・ムジャヒディンおよびイラクの人々について

 郡山「僕は、スパイ容疑をかけられてイラクで拘束されたわけですが、その、みなさんには悪いんですが、僕としては、人質になったという感覚はないんです。人質ではなく、ホームステイしたという感じなんです。そのときに、今まで取材してきたよりも、もっともっと深いところで、生のイラク人の生活に触れました。サラヤ・ムジャヒディン(注:武装旅団、三人を拘束した集団の名称)の人たちとも、たくさんディスカッションしました。」

 郡山さんは一貫して、サラヤ・ムジャヒディンのことをテロリストとは呼ばなかった。その理由は、彼自身、彼等と深く接し、見たこと、知ったことに関係している。そして、それを語るために来ている。

 郡山「彼等がなぜ武器を持っていたのかというと、日本では彼等のことをテロリストと呼んでいますが、実際は自警団です。ああいう状況にあって、自分達のことを護るために、武器を持つのは当然のことだと思います。それに、ムジャヒディンのように武器を持っている人たちは、誰かしら家族が殺されています。妻だったり、子供だったり。」

 彼等と一緒にいる間、いつも朝起きて最初にする話題は、イラク人が何人殺された、という話だったという。誰々が殺された、どこそこの病院が破壊された、学校が爆撃された、云々。

 郡山「解放される前、彼等と一緒にアブダビテレビ(注:中東の放送局のひとつ)を見ていたんです。そこで、皮肉っぽく、こう言われました。『日本人はたった五人じゃないか、なのにどうしてこんなに大騒ぎしているんだ? イラク人はいったい何人殺されているというんだ……』彼等にとっては、日本人の命は高い、そしてイラク人の命は安い、という感覚があるんだと思います。たとえば、アメリカ兵にしてもそうで、彼等は何人死んだか、というのはカウントされて、テレビでも流される。でも、イラク人がいったい何殷人死んだなんて、報道されません。」

 命の軽さ、そして、人が次々と殺されていく現状で、その現実をどうすれば、イラクの人々は世界に伝えることができただろうか。郡山さんは、こうして自分のような人を拘束して、声明文を出すようなことでしか、世界に対してのアピールができなかったのではないか、という。

 また、彼の触れたイラク人の内側の世界について、聞かれると、

 郡山「僕はこのあいだ捕まったときも含めて、2回イラクに行っているわけですが、イラクの人に対する第一印象としては、こんなに親日家なんだ、という驚きですね。すぐにサディーク、これはイラクの言葉で友達(注:'sadiiq)ということなんですが、そういわれてお茶に呼ばれ、仕事ができないくらいでした。でも、自衛隊が派兵された後は、ほとんどアメリカ人に対する気持ちと一緒なんじゃないかと思いました。」

 けれども、まったく同じではないということを、ムジャヒディンたちと生活する中で知った。

 郡山「彼等が言うには、『日本人は友達だと思っていたのに、どうして軍隊を送ってきたんだ?』ということなんです。」

 郡山「この事件では、僕らが被害者ということになっていますが、もとを正せば彼等の方が被害者なんですよね。」

 そして、拘束生活の中においても、自分たちが歓待されていることを強く感じたという。

 郡山「結局、拘束されているときには8ヶ所くらい移動したわけなんですが、2日目に行ったところで、なぜか突然、普通のおじさんが僕らのいるところへ入ってくるんです。そして握手をして帰っていく。そういうのが30人続きました。もちろん日本人が来た、という興味もあるんでしょうが、それでもみんな、とてもアットホームに接してくる、いい人ばかりでした。」

 郡山「僕らはまったくひどい扱いというのは受けていなくて、ゲスト扱いでした。それはメシのときにわかります! というのも、僕らは一日二食で、鶏肉が出るんですよ。鶏肉っていうのは、向こうではたいへん高価なものなんです。しかも、毎日僕らに『今日は何が欲しい』というふうに聞いてくれて、僕はヘビースモーカーなのでタバコが欲しいというと、銘柄まで聞いてくれて買ってきてくれました。それに誰かが寝込んだりしたときも、見張りの兵士が僕らに対して祈ってくれたんです。そろって三人の調子が悪くなったときにも、今日のご飯は外で食べようと行ってくれて、満天の星空の下でご飯を食べました。」

 こうした生活で、やせるどころか、ちょっと太ったかもしれない、と郡山さんは言う。それはその通りで、アラブの人たちは基本的に「もてなす」ということを非常に大事にする人たちだ。岡助教授も、自分が難民キャンプに行ったとき、はるかに自分の方が豊かで、キャンプには何にもないような状況なのに、それでもなけなしのものを使ってもてなしてくれたことを話していた。

 岡「そういう、イラクの人たちが一般に抱いている、あるいは抱いていた、日本に関する親しみの気持ちというものの理由は、郡山さんはどうお考えになりますか?」

 郡山「それは、彼等の口からヒロシマ、ナガサキという単語がよく出てくることから、日本が唯一の被爆国であることがひとつ挙げられると思います。それと、アメリカに占領されたことがある、そういう点に、同じ気持ちを感じているのかもしれません。けれども、いちばん大きな理由と僕が考えるのは、80年代に日本の企業がイラクに入って、あるいはボランティアやNGOが、彼等にどう接してきたか、そこにあると思います。」

 岡「イラクにおける親日感情は、一人一人が積み重ねてきた資産というわけですね。」

 そして、これからその感情はどうなっていくのだろうか、という会場からの質問に対しては、こんな答えが返されている。

 郡山「アブグレイブ収容所の一件の後、火がついちゃったんだと思います。日本人もアメリカ人もいっしょ。本当のところはどう思っているのかはわからないけれど、たぶん、殺される瞬間になってはじめて理解するんでしょうね。でも、僕の経験からでは、複数の立場の人がいると思います。友人だと思っていたのに裏切られたと思っている人、まだ親日家でありつづける人、そして外国人なんて出て行けという排斥主義の過激派。なんでそう思うかというと、僕としては初めて心が通じた瞬間なんだと思っているんですが、解放された日に、紀明と高遠さんはボランティアだから解放でいいんだけど、実は、僕は残るって言ったんです。僕はカメラマンだから、ここに残って、あなたたちが戦う姿を撮りたい、ってそう言ったんです。そうすると、ムジャヒディンはこう言うんです。『ごめんなさい。私はあなたを友人とは認めたけれど、我々の他には過激な人たちがいる。だから、君を危険な目に会わすわけにはいかない。』と。」

 イラク人からの日本人は、おおむね好意的であった。しかし、日本人から見たイラク人はどうであろうか。実のところ、まったく知らないというのがほとんどのところではないだろうか。

 郡山「ある新聞に、人質事件は自作自演だ、という説が書かれたときの理由に、イラク人は『ヒロシマ、ナガサキ』を知っているはずがないので、日本人が関与しているのではないか、というのがありました。僕は、それはイラク人をバカにしているんじゃないかと思いましたよ。アラブの現実を知らなすぎます。」

 岡「まったくその通りだと思います。ちゃんと教育を受けた人であれば、どんな人でもあの原爆という事件は戦争における『ホロコースト』として認識しています。それをイラク人だから知らないというのは、アラブの人々に対するレイシズム(注:人種差別主義)すら感じます。」

 そういうアラブ、もしくはイラクに関する現場感覚のなさ、が今回の一連の事件に関する報道では露呈された。今回、様々な中東専門家なる人が公共の電波に現れ、様々な発言をしたが、そのほとんどが現場性のない意見で、「毒にも薬にもならない、ひょっとすると毒にしかならない」(岡)意見だったという。


2.マスメディアについて

 岡真理助教授は、この一連の事件の際、「語らなかった」専門家の一人だ。彼女はアラブ文学専攻であるが、パレスチナ問題の専門家でもある。しかし、メディアは彼女が「アラブを知っている」という漠然とした情報、ただこれだけで、今回の事件についても意見を求めてきた。もちろん、アラブ世界と一口に言っても広い。彼女はイラクには行ったことがないし、事情についても専門家として語れるほど詳しくはないので、語らなかった。それは当然のことのように思えるが、実際問題としてはそうではない。れっきとしたイラク専門家と言えるのは酒井啓子さんくらいで、あとの人たちは肩書きは専門家だが、イラクに関して言えば、畑違いの人たちばかり。肩書きはあるが現場を知らない人と、肩書きはないが現場を知っている人のどちらがリアリティのある発言をするかというと、もちろん、

 岡「豊田直巳さん(注:フォトジャーナリスト)などの話を聞くと、もうリアリティが断然違いますね。それに比べて、中東専門家なる人たちは、(といっても、私の知人だったりするんですが、あえて批判すると)とてもたくさんのことを話すんですが、本当にくだらないことを公共の電波にしゃべって、私達はそれを聞いている。なんというか、お前等には研究者としての良心はないのか! なんて思ってしまいます。」

 しかし、岡助教授はそのくだらない意見が流される理由として、マスコミから要求されるコメントのレベルが低い、ということも指摘する。単に「どう思いますか?」という単純なものから始まり、イラン問題のときに畑違いのアラブ専門家に尋ねてみたり(イランはペルシャ語地域)、ムジャヒディンがスニーカーを履いてるから云々、そういったアラブ世界に対する無知からくるミスも多発している。二人の危惧しているのは、そういった無知から来た誤った報道を、あまりにも人々が素直に受け止め、それが真実であるかのようにふるまい、その通りに発言していることだ。

 郡山「僕はバッシングをたくさんされて、律儀にそういうのを全部読んでいる訳なんですが、それを読んでいて思うのは、面白いくらいにテレビと同じ意見だということなんです。」

 岡「情報を分析する、それこそメディアリテラシーの能力がないわけですね。新聞は批判されるために読む物なんだと思います。」

 一般に、新聞あるいはメディアで流されることは圧倒的に正しいことである、というふうに受け取られている。しかし、新聞やメディアの現場にも、そこに集まってくるデータを見て、まとめる人がいるわけで、そこの段階で誤ってしまう可能性は十分にある。そこにいる人たちは、確かにデータを扱うという観点から行くと、一般の人々よりも慣れているかもしれないが、今回の場合のように、「ほとんど誰も詳しい知識を持っていない」というような題材になってくると、いちばん正確な情報を持っているのは最前線にいる人で、そこから送られてくる未知の情報をどう解釈するか、その経験値は、メディアと一般の人々に、それほど大差があるわけではない。

 郡山「こういうときにこそ、受け取る側の能力が試されているんだと思います。」

 あくまでも、新聞やテレビ、メディアから流れてくる情報はセカンドハンドなものである。現地からそのまま届くのではなくて、メディアで一次的に解釈されてから、その解釈されたものが人々に送られる。そこにはすでに人の価値判断や解釈が入っているのだから、すでに手あかのついた情報である。もしリテラシー能力があるならば、その手あかのついた情報から、手あかを洗い落として情報を手に入れることができるかもしれない。しかし確実に、現地と人々の間で抜け落ちた情報は、ただ受け取るという立場だけでは、手に入れることができない。

 岡「市民の手で、マスメディアには注目されない、現場の声を届けてくれる人から、情報を得ようとする努力が必要なのではないでしょうか。」

 昔、通信手段が限られていた時代なら、なかなかそういうことはできないかもしれない。しかし、今は違う。インターネットというものがあり、そこには現地で取材をしている人が報告を続けているホームページがある。そして現地に住んでいる人もホームページを持っているし、そこに書かれたものが英語であっても、それを精力的に翻訳して紹介する人もいる。そしてもちろん、この講演における郡山さんのように、現地から帰ってきて、人々の前に立って、情報を伝えてくれる人もいる。

 郡山さんは、今の学生たちに期待することは?と聞かれ、このように答えている。

 郡山「大事なのは、色んなところにちゃんとアンテナを張って、そして自分の中で善し悪しを決めて、情報に流されず、自分で判断して欲しいということです。」

 このイラク問題においては、一般の人だけでなく、メディアでさえきちんとした情報収集と、情報分析ができない。この両者においてリテラシー能力が欠けていたがゆえに起こった問題が、「自己責任問題」と「自作自演問題」のふたつではないだろうか。


3.自作自演問題

 郡山「たとえば、あの記者会見のときに、自作自演のことについて聞かれました。確かに、彼等からおびえて泣けと言う指示はありました。でも、ああいう状態で、銃を突きつけられたら、普通そうするでしょう?」

 自作自演というのは、自らの意志でそうしなければ、本当にその通りだとは言えない。けれども、銃を突きつけられて、生命の危険があるからやった、というのは、果たして自発的な意志といえるだろうか。

 郡山「だから、そういうふうに言ったんですが、翌日の産経新聞を見ると、『演出認める』というふうに書いてある。もう本当に、耳悪いんとちゃうか、って思いましたよ。」

 また、自作自演について、このようにもしゃべっている。

 郡山「自衛隊を撤退させるためだとか、政府を批判するための自作自演なんて言いますけれど、僕は頭悪いから、そんなことできませんよ。それに、もし本気でやろうと思ったら、(こんな発言するとまた公安に目をつけられるかもしれないんだけど、言っていいのかな)実は僕、あのとき、『No Koizumi』Tシャツ持ってたんですよ。でも、そんなのがあることも忘れてるくらい、あのときは必死でした。しかも、彼等(注:サラヤ・ムジャヒディン)は日本の首相の名前も知らなかったくらいで。まず最初に日本の"President"は誰だ? って聞くんです。日本にはそういうのがいないから、"Prime Minister"だっていう説明をしなくちゃなりませんでした。そうしたら、じゃあそいつは誰だ、っていうんで、"Koizumi"だ、って言いました。あとひどいのが、あの送りつけられたビデオの中で日本語で「言って言って」というように聞こえる部分があるんですよね。だから日本人関与か、って、あれもアラブのこと知らないからそんなこと言えるんですよ。あの「イッテ」というのは、向こうの言葉で「お前」という意味の言葉なんです(注:正しくは'antaという。「'a」は咽頭摩擦音で「イ」みたいにも聞こえるし、最後の「a」はほとんど「e」と大差ない音である)。そういうことも分析をしないで、適当にテレビでコメントする……もうちょっと調べてから発言してほしいです。」


4.自己責任問題

 郡山「あの「自己責任」という言葉は、最初、飯島秘書官(注:総理大臣秘書官)から出たんですが、なぜその言葉が広がってさかんに言われたのかと考えてみると、僕は人質になっておどされたときの映像、あれが全部放映されていないところにあると思うんです。」

 岡「メディアによって映像が隠蔽されたわけですね。」

 郡山「そうなんです。あれには紀明(注:今井紀明のこと)の髪が引っ張られたりとか、首筋にナイフが突きつけられたりとかいうのがあったんですが、そういうものが放映されていない。そういう残酷な場面は削られていたわけですが、そういう隠蔽がされていたから、「自己責任」ということができたんじゃないだろうか、と。知り合いのインターネット放送局の人が、あの映像をまるまる、街角の人に見せてみたそうなんですが、みんな最初は僕らのことを「自己責任」といって非難しているんですが、あの映像を全部見ると、意見が変わって、「これはひどい」というんですね。」

 これらの情報が隠蔽されたのは、どういう理由からだろうか。実はまったく隠蔽されたのではなく、地方メディアなどでは流れたところもあったようだが、大手メディアはほとんど流さなかった。単に「残酷」だからという理由だろうか。「面白くない」という理由からだろうか。どちらにせよ、マイナスのイメージから、視聴率が取れないという理由で削られたのだとしたら。

 岡「パレスチナ問題はかれこれ37年の間、ずっと続いているわけですが、これまでほとんど報道されませんでした。それというのも、パレスチナ問題は視聴率が取れないからというんです。ニュースをやっていて、パレスチナの話になると、がくんと視聴率が下がる。視聴率が下がるということは、視聴者が見たくないということだ。見たくないんだったら、この情報は見せません。そんなメディアなんです、今あるメディアは。あなたたちはこんなもの見たくないんだから、見せません、と。なめられているんですよ、視聴者は。」

 こういう、面白いものを見せろ、という要求をして、あるいはしなくても、そういうふうになるがまま、メディアを育てていったのは、こういうメディアを選んでいったのは、他ならぬ視聴者である。情報を集めて、判断出来るだけの材料すら提供しないようなメディアを認めているのは、視聴者である、というふうに岡助教授は言う。そして必要な情報が与えられなかったゆえに、根拠のない推論、憶測だけで「自己責任問題」と「自作自演問題」は人々の考えるがままに突っ走っていく。

 郡山さん自身、この「問題」だけが一人歩きして、本当に伝えたい「イラクのこと」がしゃべれなくて困惑しているらしい。彼の感覚としては、サラヤ・ムジャヒディンにビデオを撮られたとき、あまりにもまとまってなかったため、本当にこのビデオ映像が活用されるとは思ってなかったそうだ。声明文が送られたことも、それによって日本が大騒ぎになっていたことも知らなかった。解放されて、迎えに来た政府の人々にまず言われた言葉が「日本は大変なことになってたんだ」とか、あるいは「けじめをつけなさい」だとかいうようなことで、それから繰り返し繰り返し「色んな人に迷惑がかかった」と言われる。しかし、実際のところ、もし謝るにしても、いったい誰に謝ればいいのか、まったくわからないという。

 こういった場合、「謝れ」と発言する側にしても、いったい「誰に謝るのか」ということを明確にしなければいけない。対象は「人質解放のために働いた政府」なのか、それとも「報道を見ていて心配させられた視聴者」なのか、それともぼんやしとして実態のつかめない「世間」なのか。だが基本的に、人が「謝れ」というときには、ほとんどにおいて「自分に謝れ」というニュアンスを含んでいる。「世間に謝れ」というのが良い例で、ここでいう「世間」はあくまでも「社会」ではない。翻訳語についての考察で柳父章は「世間には自分が含まれていて、社会には自分が含まれていない」と分析する。そしてそれに従って「私を含んだ世間を騒がしたのだから、私に対して罪がある。だから謝れ。」という論理になるとしても、そう言われた側にとってしてみれば、直接的にその発言者に対してどういう迷惑をかけたのかわからないし、直接利害関係のない人にたいしてどう謝っていいのかもわからない。

 そして何よりも奇妙なのは、この「自己責任」発言の端緒は、政府から来ているということだ。そして同じく、バッシングも奇妙なことに、政府という文脈がちらついている。


6.バッシングと政府との関連性

 郡山「そういえば、うちの家族が自衛隊を撤退させてくれ、って言ったじゃないですか。僕は、あれを政治的発言だというふうには取って欲しくないです。それに、その発言をした瞬間にバッシングされる……。そんなの、一家族としては当然じゃないんですか? もし解放の条件が出されたら、それが実行されるように懇願するのが家族じゃないですか。」

 同じバッシングの例として、岡助教授は北朝鮮拉致被害者の例を出す。

 岡「そういえば、先日、北朝鮮拉致被害者家族の方がバッシングを受けましたよね。首相の再訪朝のあと、成果がなかったから政府を非難すると、たちまちバッシングを受けた。「自己責任」と言って、これは自分の意志で言ったのだから、自分に責任がある、ということなのですが、拉致の問題も考え合わせてみると、じゃあ「自分の意志で行っていない人」つまり拉致被害者のような人たちにとって、誠実な態度を取っているのだろうか? と考えると、どうもそうじゃなさそうですね。」

 しかし、こちらは「自己責任」ということもまったく関係のないところで生じている問題である。

 岡「これは政府に異議申し立てをすると、バッシングされると言うことでしょうか?」

 イラク人質の家族も、北朝鮮拉致被害者家族のどちらも、その発言をするまではまったく同情的に見られていたといってもよい。けれども、どちら政府の非難と受け取ることの出来る(あくまでも受け取れるだけで、本心からいったかどうか、あるいはそれが妥当かどうかの問題はまったく含まず)発言をすると、すぐさまバッシングの対象となる。これはいったいどういうことなのだろうか?

 岡「自己責任というのは、政府に手間をかけさせるな、ということかもしれません。政府にとって利用価値のないことをさせるな、という。今、年間3万人もの人が自殺しているわけですよね。日に換算すると、毎日80人も自殺しているわけです。でもそういう人は助けずに、自己責任で死んで下さいという。けれども、大企業がつぶれそうになると、多額の税金を投入して助ける。それが日本政府なんです。そしてそれを選んだ自己責任が、国民にあるんじゃないでしょうか。政府に異議申し立てしない人は守るが、そうじゃない人は守らない、というんじゃあ、これからの日本はどうなっていくかわかりません。」

 また、今回の事件で助かった理由について、郡山さんはこうも述べている。

 郡山「帰ってこられた理由のひとつとして、外務省がイラクにパイプを持っていなかったのがよかったというふうに考えています。もしパイプがあって情報が手に入って、僕らのいる場所がわかったら、政府はアメリカに頼ると思います。そしてアメリカが救出作戦という名のもとに、僕らも殺されるんだろう……と思っていました。拘束されているときに何がこわいって、(こんなこというとまたバッシングされそうだれど)アメリカ軍がいちばん怖かったです。」


7.武器と自衛隊について

 郡山「情報収集っていうのは、信頼関係があってこそなんだと思うんです。僕の場合、取材をするときにも、場所によってはカメラなしで一週間滞在して、信頼を得てから初めてカメラを……ということがあります。人道支援も信頼関係だと思うんですよ。高遠さんは『人道支援は丸腰でないといけない』というふうに言っています。僕は武器を持った時点で人道支援とは言えないと思います。武器を持って、その武器はいったい誰に向けるのか? といったら、イラクの人たちに向けるわけですよね。岡さんはどのように思いますか?」

 岡「私に訊かれても、どう答えればいいかわかりませんが、この間、安田さん(注:安田純平、イラクで拘束されたフリージャーナリスト)とお話をしたんです。彼が言ったのは、『ガードなしで行った、と批判されるんですが、もし武器をそのときに持っていたら、殺されていた』ということです。」

 郡山「ガードなんてつけていたら、殺してくれといってるようなものですよ。武器が在ると、殺す可能性があるし、殺される可能性もある。僕が拘束されたときにも、彼等から聞かれた質問の中に、『武器は持っているか?』というものがありました。持ってたら、あのとき殺されていたと思います。」

 ここで人道支援と武器の関係が出ているが、「武器を持つ」ためにどれだけの無駄が行われているかというと、

 岡「武器を携帯した人道支援を自衛隊はやっているわけですが、その装甲車などにかかる費用に、37億円もかけているわけなんですよね。NGOなら、1億円で水を綺麗に出来ていますよ。それは無駄使いではないんでしょうか?」

 郡山「そうなんですよ、自衛隊は、一日200万円分の水をサマワで支給するために、1億円の費用を使っているんです。でも、実はサマワには水はたっぷりあるんですよ。確かに井戸はだめで、汚染されて使えないんですが、人が飲んだり生活するだけの水はちゃんとたっぷり売っているんです。でもお金がないからその水が買えないというわけで、じゃあ、現金渡せよ、というふうに思うんです。その200万円で水を買ってあげたら? これも言っちゃあだめなのかもしれないけれど、『ポーズだけの人道支援なんていりません』。それに、実は……サマワの人も水なんていらないって言ってるんですよ。」

 岡「こういう無駄使いが行われているとき、どうして私達のお金が、税金が使われているのに文句を言わないんでしょうね。普段、学生はお金がないお金がないといって、教科書が高いとかみみっちく言っているのに、税金に対しては怒らないんです。タバコ買ったりとか、お酒買ったりとかするときに税金は取られているんですよ、みんな、もっと怒れ!」

 また、郡山さん三人が解放されて、大使館にいるとき、こんなやりとりがあったという。

 郡山「僕らが大使館で、『迷惑をかけたんだから』とか色々罪の意識を受け付けられているとき、ふと高遠さんが、大使に向かって『自衛隊を引き返させたらどう?』っていうふうに言ったんですね。そうすると大使は『行かせちゃったんだから仕方ない。』って言ったんです。すると、高遠さんは怒りっぽい人なもんだから、その、キレちゃいまして、喧嘩腰に色々叫び散らしたんです。実際に暴れて物を壊したとか、そういうことではないんですが、まあ大変なことになってですね、気が付いたら大使は逃げちゃってました。こういうとき、僕と紀明には高遠さん扱いマニュアル、みたいなのがありまして、しばらくはやらせるままに放っておいて、落ち着いてきたら引き留める、という感じなんです(笑)。」


8.郡山さん自身のこと

 郡山さんは元自衛官である。もし自分が今でも自衛官だったら、という質問がされると、一度命令が出た後は容易に撤回出来ないし、抵抗もできないんだけど、という前置きをした上で、「僕は絶対に行きません」といった。

 郡山さんは自分が見聞きして知ったことしかしゃべらない、という。

 郡山「イラクの現状は、僕も今まで二度しか言っていなくて、そのうち1回はみなさんのご存じのように拘束されてほとんど取材もできなかったわけなんですが、はっきりしたことは、イラクで犠牲になるほとんどの人が女の人、子どもだということ、一般の人であるということです。それは、僕がこの目で見てわかったことです。ファルージャで行われていたことは、あれはジェノサイド(注:虐殺)といっても過言ではありません。パレスチナに詳しい岡さんは、これはご存じかもしれませんが、兵士というのは、ああいうところでは家宅捜索をやるんです。本来、家宅捜索をするのなら、まずドアをノックして、誰かに出て来てもらって、家宅捜索しますよいいですか、と了承してから踏み込みますよね。でも、アメリカ兵はそういうことをやらないんです。面倒だから、まず民家のドアを銃でぶっこわすんです。そこで犠牲者が出る。物音がするなら、何だろうな、ってドアの近くまで出て来た民間人が、そこで殺されてしまうわけです。これは、僕が知識として持っているものですが、今度は、こういうことをちゃんと写真にとって報告したいと思います。」

 写真にとって、というのは、郡山さん自身も、自分がしゃべっていることは、伝聞資料に過ぎないということを自覚しているからだろう。実際に見聞きしたことを重要視し、現場性を大事にする。そして、こうして日本に帰ってきて講演をする中で、それまで軽視していた「語ること」への意識が高まったという。多くの人に語って、多くの人とともに考えること、が重要であるというふうに思えるようになった、と。

 そして、真剣な中にも、茶目っ気を忘れない人だ。こんな事件に巻き込まれても、PTSDにもならない強さの原因を自ら「ノー天気だから!」と答える郡山さんは、もうこんな大騒ぎはならないようにと、誰も勝手に助けに来ないように、というほのめかしも含めて、こんなことを言う。

 郡山「今度行くときには、ビデオレターでも残していこうと思います(笑)。」

 戦争のことについて聞かれたときには、

 郡山「戦争……正直言って、難しいことはわかりません。僕は戦争は嫌いで、なくなってほしいと思っています。そうやって長い歴史の中で、色んな人たちがなくそうとつとめてきたけれど、それでもなくならないっていうのは、人間の業なのかもしれないけれど。でも、人が殺されることは嫌いです。誰にも死んで欲しくないから、死んで欲しくないから……」

 彼の言葉は、彼の行動は、すべてが直感的である。細かい理屈によって動いているのではないし、そういうある種の理論的な武装というものもしていなければ、常に生身のままで、ありのままで生きている。そして、そんな郡山さんが講演の最後に語ったのは、次のような言葉だった。

 郡山「また行くと言ったら、そんな怖い思いしてまで、なんで行くんだと言われるんでしょうね。それは、僕が懲りないだけだと思います。確かに、死ぬかもしれないんだけれど、僕は、死ぬよりも知らないことの方が怖いです。僕は見たい。自分の目で見て、確かめたい。だから、これからも見続けていきたいと思います。」

 知らないことが怖いから行く。

 私はこの言葉を聞いたとき、ふとカール・ヒルティの言葉を思い出した。

「恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴候である。恐怖は、苦痛が肉体に対して果たすのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の役目を果たす。」

★この文章を書いた人→大久保ゆう★こんな時間に→2004年06月14日 22:55 ★トラックバック
 コメント

バクダットには、顔を半分隠して、ジョーゼットの裾をなびかせて白い宮殿の中を自由自在に闊歩しているお姫さまがいるのだと幼い頃思っていました。
メディアの発達は、残酷なのですね。真実を見せる。
アラブ世界のことを知りたければ、
「アラビアのローレンス」・「目には目を」など名作映画がずらーーり。
他のサイトにも書き込んだことですが、
「背負う人・ブラックボード」はイラン、イラク国境の話です。「教える」ということの考え方が違います。「学ぶ」ということの意味が違います。

そういえば、クウェートへ単身赴任していた知人がよく言っていました。
「日本という国がいかに小さいかがわかる」と。
技術指導する立場にあった人です。
石油という黄金がありますから、世界中から出稼ぎにくるのですね。ということは働く人々は、あらゆる宗教を信じている。
最初彼がショックを受けたのは、日本とはどこにあるのか知らない人が殆ど。世界地図で、中国を指し占めすのだそうです。彼が困ったのは、宗教が違うということは、休日も違うということで、まともなミーティングができなかったそうな・・彼らにすれば、普通のことで、全員集合のミーティングなど考えたこともないらしい。。
チーフ(知人)が毎日同じことを繰り返せばいいのだと・・・
知人は、既成概念を覆されることが多くて、カルチャーショックというべきか悩んだそうです。しかしそんなことで悩むこともアラビアの人には珍しかったそうな・・

世界は広い。いろいろな国があるということですね。

Posted by: ten at 2004年06月15日 08:51

面白かった。
なんだかニュースで言ってることとは違ってるような気がする。
NHKですら誘導してるような・・

まあ薩長の人食いドモが作り上げた政府ですからww

ヤツラは原爆がどこに投下されるかという情報も知っていたらしい。だから広島には旧徳川方の人間が大量に職務、或いは軍務として集められていたんだが、こんなことは最早表に出てくることも無いしね。

Posted by: at 2004年06月17日 16:00

郡山さんのインタビュー、おもしろかったです。
立岩真也さんのサイトでこの集会の告知を読んで、行きたかったんだけど行けなかったので、ここで読むことができて、よかった。
郡山さんが、今度はカメラに収めてくるという、USA兵の家作捜索の現場、それこそ、危ない、と心配です。

イラクの人たちが、普通に生活していて、殺されてしまうという状況。
パレスチナも同じなんでしょう。
確か、郡山さんは、今回のイラク行も、初めはパレスチナに行くつもりだったんじゃありませんでしたっけ。
行き先は変わっても、起こっていることは同じ、なんですね。
残念だけど。

Posted by: てるてる at 2004年06月20日 00:57

郡山はあたかも正義の味方、平和の使者のようなことを言っているが実態は事件現場に物見遊山で行きニュースを高く買ってもらういわば個人事業者であり、商売をしにイラクにいったのでありそれ以外のないものでもない、本来であれば国民に迷惑をかけたと本人も家族も謝罪するのが日本人であり、私ありて公なしの典型である。かって自衛隊にいたそうだがそんなものを税金ドロボーというのだ。

Posted by: 正義の味方 at 2004年06月26日 23:10

先日札幌での公演があったそうですが・まだ判っていないのか???自己責任に意味が・・・郡山さんの場合は奇麗事を言っても食べる種のお金ではないのだろうか!イラクの人々を日本に判って欲しいなら写真を売りに行かないで自腹でホームページでも作ったらいいのではないのか!

Posted by: 常識人 at 2004年06月27日 07:19

現場のリアルな話が読めてよかった。こういう話はネットでどんどん拡げたいもの。
小泉や飯島たちは、アメリカのために日本人の血を流すことを厭わない連中だと心底思う。ま、竹中なんかはアメリカの大借金に日本の税金をつぎ込み、また税金をつぎ込んだ日本の銀行をアメリカ企業に安く売りつけて儲けさせてるような連中だから仕様がないけれども。
ムカシ人間だから、こういう小泉一派はバイコクドだと思うが。
ともあれイラクであれどこであれ、アメリカがのさばり、そのポチとしての自衛隊が大量殺人加害集団ということにならないように。

Posted by: 一市民 at 2004年06月27日 22:20

食い詰めプータローが一発屋気取りで戦地に赴いて、一体何が出来ると考えたんでしょうか。戦場カメラマンってのは、あとからどんな名声を誇っても、動機は人の不幸は密の味を具現化してるだけではないでしょうか。

Posted by: 一市民 at 2004年06月30日 20:48

↑そのコメントをキャパにも言うことができたら、あなたを尊敬します。

Posted by: 別の一市民 at 2004年06月30日 23:39

季節工ジャーナリストにせよ、あまりに不勉強ではなころうか。死よりも無知が怖いっていうけど、白痴が勢いでだけで行ったところでどうなる。

Posted by: 遊津 at 2004年07月03日 01:57

 まだ32歳なのだから、やりたいようにやればいいんじゃないかと思います。一度大失敗しても、挽回する機会がないのなら、それは「一度失敗したら終わり」っていう社会を認めることじゃないかな?俺はそんな挑戦一つできない社会に暮らしたくないので、「またイラクに行ってもいいんじゃない?」と思います。ただそれは、あくまで個人の自由で行っているとして欲しいです(悪魔みたいなことを言っていますが)。
 だけど、どうも分からないのが、やっぱり自己責任論。日本人が捕まったとしたら、「あいつは個人の自由で言っているんです」と言ってたところで、世界が認めるかどうかな〜。世界に「おお日本人もつかまるなのか」な〜んて思われるとジャパンイメージマイナスだし。でも、保守的になってもね。それは安全なときにイラクに行ったところで、深い信頼はつくれないしね。
 俺はイラクに行かないけど、「行きたい」というなら、「がんばってください」と応援します。日本で、「ただテレビを自衛隊のがんばりを見ているだけの人」と「武器の代わりに医療品を送る人」と比べたら、ぜってー郡山さんの方が偉い。
 世の中には郡山さんのように不幸を食いぶちにする人もいれば、俺みたいに原稿整理で娯楽提供を食いぶちにしているやつもいる。みなそれぞれの役割を持っているのに、「不幸を食いぶちしている」というのはひどいな〜。
 あと平和主義者なのも本当だと思うし、戦争で金稼いでいるってのは事実じゃない?どちらも共存してるのが人間じゃないっすかね?じゃ「インターネットでやれよ」って言ったって、そんな「いい子」どこにいんの?人間は天使じゃないんだから。それに、年配者はインターネットみないからね。選挙に行かない若造に情報流したところでしゃーないでしょ。
 と偉そうなことをいう俺は数字をひっくり返した23歳の若造です。はっはー。

Posted by: 和桜 at 2004年07月04日 21:55

この人質事件では自衛隊派兵=国際貢献なのかということが核になってもいいはずなのに、なんで話がどんどんずれていくんでしょうか?
何故彼らは人質をとるのかとか、そういった、動機みたいなものにあんまり焦点があたらないのは何故?

Posted by: kon at 2004年07月07日 00:28

大手メディアは行かない。
だから君は金儲けのために行く。
メディアに高く売る。
それだけのことだ。

Posted by: at 2004年07月07日 16:39

明日、郡山さんの講演を聴く機会に恵まれました。直接質問を投げかけてみようと思っています。

Posted by: 19 at 2004年07月12日 22:43

日本の外に住んでいるので人質バッシングの現場を知らないのですが、先日オーストラリアのドキュメンタリーで、人質たちのその後を見ました。興味がわいたのでインターネットでいろいろ見てみたのですが、一体日本はどうなってるんでしょうか。
国や政党や政治家やその他いろいろな要素が絡んだ問題でしょう。だけどその結論があまりにも非人間的すぎる。書き込みでも「死んでもしかたない」とか「税金の無駄使い」だとか。
まず感じるのが、彼らを批判(そんな高級な言葉を使うのが潜在的にためらわれるのでバッシングなんて言葉を使っているんじゃないだろうか)する人々は、自分たちの言葉を持っていない。どこかの雑誌やテレビで頻発されている言葉を繰り返し叫んでいるだけのように思われる。つまり自分の頭で事態を処理せず、マスコミから入ってくる意図にまみれた言葉を丸呑みして、それこそ白痴的に叫んでいるだけに見える。その光景は風通しの悪い日本の一端と見える。
マスコミの提供する意見はあまりにも近視的だ。
そして大人げない。税金と人の生命と天秤にかけている時点でもう人としてどうかしているとしか思えない。
人質だった彼らを批判する事が間違ってるというのではない。だけどもし本気で批判したいんだったら、つまり感情的になって無意味に人を傷つけたいのでなければ、彼らの意見を聞き(マスコミに操作された「意見」ではなく)フェアな手段で意見を言うべき。例えば書き込みで「死ね」と書いてみたり悪質な手紙を送ったり電話をかけたりするのではなくて。(なんて無意味な行動なんだろう?)

それよりなにより人質批判者のコメントがことごとく非人間的だ。そんな意見が一笑に付されることなく立派なしかもメインの意見になりうる日本に恐怖と絶望を感じる。

元人質の彼らは今もなおアンフェアな批判によって、人としてまともな生活が出来ていない。この書き込みを見て「今更なにを」と思った人は、いい機会だから特に批判していた人は冷静になって何がおこって何が今なおおこっているのか考え直すといいだろう。

Posted by: 山崎 at 2004年07月21日 21:38

郡山さんを批判する人も、結局は、郡山さんのような人から恩恵を受けていると思う。

命懸けで国論を誤らせない情報を取りに行くジャーナリストも、命懸けで人助けに行く人も、今の日本では単なる変人としてみなされ、世間から切り離されるのか。
日本人は、知る権利を自ら捨て、また、人助けの精神を自ら捨てている。

そう感じる今日この頃です。

Posted by: 山形 at 2004年08月08日 18:34

良い記事が読めて良かったです。

言いたいことは山ほどあったのですが、他の方のコメントでだいたいカバーしていただきました。
話をワカッている方がこれだけ大勢いらっしゃる、ということには意を強く致しました。

とか何とか言いながら少し書かせてください。

郡山さんのやや露悪的というか偽悪的な「興味本位で」、という言葉はそのまま間に受けることもないと思うのですが(そういう面もあったのでしょうが)、そういうのに飛びついて、ののしる遠吠えの諸君もあわれなり。

仮にご本人が興味本位だろうと何だろうと、結果として、日本人全体が負うべき務め(イラク人に対して・・・人間の良心に対して・・・)を、自ら危険を冒し代表して果たしてくれた方々、と私なんか思いますけどね。

だって、支援してる同盟国の軍が500人からの市民をボコボコ殺しているっていうんですぜ(あえて書くが、それは「嘘」なのかも知れない。だから現地の情報はどう考えても必要だ)。
事実を知りたかありませんか。
または知る義務はないのでしょうかね、日本人。

もう一つだけ蛇足を書くかな。

あのじぇんきんすさんとやらは、自己も自己、超自己責任で北朝鮮に行かれた方と聞いておりますが(異説もあるが結局採用されていないようです)、遠吠えの諸君は「税金泥棒」とか言ってののしらないのですか。不思議です。ポチなんか早々と幸せに暮らせるようはからうことを約束までしちゃっとる。

まあ、知った風に「自己責任」とか抜かしても所詮はその程度ってことで。

口が過ぎor趣旨が違ってたら皆様ごめんなさい。
繰り返しますがいい記事でした。

Posted by: 佐々木 at 2004年08月10日 10:22

ちょっと訂正します。
郡山さんは「趣味」「好奇心」という言葉をお使いでした。
私の使用した言葉「興味本位」とは言っておられません。
(文脈には影響ないと思いますが。)
すみません。お粗末。

Posted by: 佐々木 at 2004年08月10日 10:26

ものの見方がどこまでも一人称だねこの人は。
「見聞きしたことしかしゃべらない」といえば聞こえがいいが、想像力が欠如しているように思う。

助けられた側は、助けてくれた人や心配してくれた人に感謝すべき。「自分たちは運良く助かっただけ」などと言っているらしいが、人質を助けるために奔走した方々のことは、頭の中から抜け落ちているように感じる。 自己中心的すぎ。

Posted by: 人間としてどうかと。。。 at 2004年10月27日 21:58

日本政府はあまり役に立たなかったかもしれないけど、救出に奔走した人たちを想像出来ないのかな。突然の事件で、家族や恋人との約束を反故にしてしまった方もいるのでは。泣いている子どもたちもいるかもしれませんよ。

以前、レスキュー隊員に話を聞いたことがあります。台風の時に無理矢理釣りやボート遊びに出かけ遭難するような人々は、我々に助けられても当たりまえという態度ですよ。そもそも非常識な人たちなんだ、と。郡山さんの話を読んで、この話を思い出しました。

ジャーナリストが危険地帯へ取材に行くことは尊敬しますが、郡山さんは自称ジャーナリストであって、決してプロではない。少なくとも、イラクは郡山さんのようなアマチュアが通用する場所ではないと思います。不愉快になる人物ですね。

Posted by: 上に同感します at 2004年11月10日 23:39

郡山氏のような、自分を棚に上げた、何様?の様な人が本当に最近多いのが気になります。アマチュアの貴様レベルに何を伝えられるというのだ?と問いたい。アラブ諸国の事も、全然わかっちゃいないんだなと実感しました。行ったからわかるというレベルではないのです。こういう青臭い、ヒーロー気取りの人はむかつきます。自己責任という言葉もわからない人間に、テメエのケツもふけない男に、何が成せるのか。でも、ここの掲示板に、常識的な発言をしている方がいて、ほっとしました。

Posted by: ちょっとほっとした at 2004年11月17日 22:44

「自己責任」というのは、全てを自分で受け止めるということだと思います。

人間は、生きていく上で、誰かに何かしらの迷惑をかけています。全てを自分の責任でやるというのは事実上不可能。
しかし、最大限、他人に迷惑をかけまいとする姿勢が必要では?もし、迷惑をかけてしまったならば、誠心誠意、謝罪する態度は常識として必要でしょう。

郡山さんのいう「自己責任」は、「自己願望」のようにしか聞こえません。

この論争は、フリーランスかスタッフかという点で語られがちですが、そんな高尚なものではないでしょう。誠実に仕事しているフリーランスを郡山さんと同列に置いて語ることは失礼です。

Posted by: 同業者 at 2004年11月18日 00:00

ついでに・・・

郡山さんのイラク取材歴は、週刊朝日に掲載された「イラクの男性は甘いものがお好き」だったはず。そのレベルの取材者が、何を伝えようと言うのでしょうか?そのような人物に、他人に迷惑をかけてでも

また、そもそもパレスチナ取材に向かう途中で、アンマンにて高遠さんらと知り合い、計画変更してイラク入りしたそうですね。だとしたら、極めていい加減な姿勢で戦地に向かっているわけです。

郡山さんのような人物を支援しているような市民団体は、一般常識を持った世間からはおかしな団体としか捉えられないと思います。

この問題は、日本政府も人質も子どもだったことに尽きます。黙って、人質を救出していれば政府の株も上がったのに、余計な世論操作をしようとするから同レベルにまで落ちてしまったような気がしますね。

Posted by: 同業者 at 2004年11月18日 00:06

突然の書き込み失礼致します。

私たち早稲田大学現代文学会が、
来たる12月11日に開催する講演会のお知らせです。


 2004年度 早稲田大学現代文学会企画講演会
         「批評」の不/可能性
    語られたこと 語られぬこと ― 語ること

       講演者:岡真理×米谷匡史
           日時:12月11日
          開場16:00 開演16:30
             入場料無料
    場所:西早稲田キャンパス7号館 319教室

今年度依頼した講演者たちは
それぞれ「客観的な史実・事実」のもつ暴力性に対して批判を加えている。
岡真理氏は、アラブ文学・第三世界的フェミニズムを研究し、
表象行為が孕む危険性と、その中でなお志向すべき他者へ向けて言及を続ける。
米谷匡史氏は、戦前・戦後の日本思想史を研究し、
歴史の固定されたパースペクティブからこぼれ落ちてしまう言説の在り方を
再検討しながら、今日的な現象への批判的介入を試みる。

だが、彼らも決して「客観的な史実・事実」のもつ暴力性に対して外在的な存在ではない。
その二人が語ることも、そのような暴力性への加担からは逃れられないだろう。
しかし、この講演会が自覚と緊張感を伴って行なわれ、一つの対話となるならば、
それ以後にもつながっていく何らかの行為が立ち現れてくるのではないか。


・講演者プロフィール
岡真理――1960年生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。
現代アラブ文学、第三世界フェミニズム思想専攻。京都大学総合人間学部助教授。
著書に『記憶/物語』(2000岩波書店)、
『彼女の「正しい」名前とは何か』(2000青土社)など。

米谷匡史――1967年生まれ。東京大学大学院修士課程修了。
専門は日本思想史・社会思想史。東京外国語大学助教授。
編著書に『尾崎秀実時評集』(2004平凡社)
論文に「矢内原忠雄の<植民・社会政策>論」『思想』(945号2003年)など。


・主催  早稲田大学現代文学会
http://www.geocities.com/... 皆様のご来場をお待ちしております。

※この書き込みを不適切だと判断された場合には、お手数ですが記事の削除をお願いいたします。

早稲田大学現代文学会
http://www.geocities.com/...

Posted by: 早稲田大学現代文学会 at 2004年12月08日 23:26

 咋2004年10月にイラクのバグダッドからAl−MURWASSという劇団が日本に来たとき、そのシンポジウムの会場にひょっこり郡山総一郎さんがカメラを携えておいでになっていて、びっくり。ほんのひと言なんかお聞きしてみたことがあったのですが、そしたらマイクを向けた瞬間、すごくはにかまれて、言葉もさっとは出てこないといった感じ。すっごくいい方、口先でペラペラよく考えてもいないことをしたり顔で話すような人種とは全然違う、人間としてすごく信頼できる方だなあという感じを受けました。
 何かの折にあのときの郡山さんのことを懐かしく思い出すのですが、今日は偶然、このblogを発見?したので、「聴講記録」からみなさんの「コメント」まで、ずうっと拝読。いろいろ知らなかったことをおかげで知ることができました。
 
 なかに、自衛隊の装備に37億円だかかかっていて(私のテレビで見た記憶だと自衛隊の派遣には最初の予算が400億?だったのでは……?)、200万円の水に1億円かかってるとあって、憤慨してます。あとの9千800万円はいったい誰の懐に入ったのでしょう?
 どなたかこの、気の遠くなるような莫大な派遣費用=税金が、ジープやトラックや銃やその弾丸や自衛隊服、防弾チョッキや鉄兜や靴やヒコーキ代等々、……どの大企業にいくら支払われたか、調べてみんなに教えてくださる方はいらっしゃいませんか? お願いしま〜す。(私、調べたいですけど、何をどう調べたらいいかわからないし、数字にはメタ弱いのです。)
 このサモアの人にもほとんど役に立ってない上に、日本の納税者に大きな負担をかけて日本の(あるいはアメリカの?)大企業だけを太らせたことの「責任」を、政府はとるべきではないでしょうか?
 派兵以前、危機を伝えられていた日本経済が「踊り場」にとどまったりやや上向きになったりして、小泉が延命できたのは、この自衛隊派遣の「お蔭」だったと思います。
ちがいますか?
hiroko

Posted by: hiroko at 2005年03月22日 03:31

初めての投稿。世の中の出来事を全て知る事なんて不可能、だけど税金は高い消費税がどうこう言っている自分もそのつかわれ方、仕組みに対しては無知。もっと文句を言う前に学ぶべき事はたくさん。自衛隊のイラク派遣は反対。隊員も現地のひとにもよくない。日米安保(実質的に死語?)とかいってつい最近平気で原爆は落とすはアフガニスタン〜そしてイラク〜正義などといって結局は殺人商人・・利益を得る人は安全で税金払って危険地帯に行くというのもおかしな話・・何なら各国の指導者が現地で働けって言いたいくらい・・あーあ次は何処

Posted by: seiko2005 at 2005年06月17日 18:09

私ははじめて昨日、郡山さんの講演会に行ってきました。講演会の中の郡山さんのスライドで、私はイラクやアジアに関して今まで知らなかったことを、知ることができました。私は写真家ではないので、写真を使って何かをすることは出来ませんが、今大学で栄養の勉強をしているのでそれをつかって何か出来るようになりたいと思います。この聴講記録を読んでとても勉強になりました。ありがとうございました。突然の書き込み失礼しました。

Posted by: yui at 2005年07月29日 12:18

郡山高遠今井の三人を助けたのは、彼らたち自身がイラクで実際に行ってきた活動の成果であって、日本政府ではないと思うけどなぁ。
むしろのっけから「テロリスト」呼ばわりして、首相自ら死刑執行を後押ししてたし。

Posted by: at 2005年08月06日 00:51

政府は対策しか考えない。まずは現実を知り、そこに人間の悲しみを感じなければいけないと思う。

Posted by: Bon at 2005年09月01日 13:50

昨日千葉県我孫子市で、郡山さんのこうえんを聞きました

Posted by: 山田正美 at 2005年10月16日 08:17

岡真理さんのことを知りたくてこちらを拝見しました。
盛り上がってますね、郡山さんの件。

ひとことだけ。
彼が金儲だったか名声目当てだったか、第三者にはわかりません。
一つ私が思うことは、世界中の資源と人権を踏みにじりながら文明社会を謳歌し、のほほんと平和ボケしている日本で、自分は一歩も現地に入ろうとしたことすらなく、キーボードの向こうから一方的に人を批判することには意味はないということです。

アマチュアとプロが紙一重なら、名声も批判も紙一重ですしねー。昨日までこてんぱんに批判されてた人が、翌日は英雄、100年後に評価された、あるいはその逆、なんて例は歴史上、枚挙に暇がありませんよね。

えらそうに書きましたが、私も日本から出たことは旅行以外ありませんので、彼らを批判などとうていできません。
ただ、こうした人たちが見聞きし、写し取ってきたことは、より多くの人がそれぞれの経験と感性で受け止め、そこからどうすべきか、自分たちの責任としてそれぞれ行動する必要はあるんじゃなかろうかと思っています。

Posted by: 野原みずえ at 2006年04月15日 01:37

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